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銀塩手帖

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銀塩手帖
フィルム、銀塩写真に関する情報を記録していきます。
公開日:2013/09/27

家族の思い出をアーカイブせよ!〜ビネガーシンドロームからの救出〜

photo & text 中村文夫

写真の8ミリムービーカメラは、シネマックス・トリオート。1960年に瓜生精機が発売した製品で、ターレット式コンバージョンレンズで画角を切り替える。 露出はセレン光式EEで、フェードイン/アウトができる。カメラの定価は2万4000円で映写機を加えると総予算は4万円ほど。当時の物価を考えると、父は2ヶ月分以上の給料を注ぎ込んだ計算になる。 *1960年のサラリーマン平均月給は18,458円(厚生労働省 賃金構造基本統計調査より)

先日、実家に顔を出したとき、兄貴の嫁さんが「押し入れにこんなものがあった」と大きなクッキーの缶を出してきた。蓋を開けると鼻を突く酢酸の臭いが!! 中身は父が撮影した8ミリフィルム。わが家の貴重な記録だ。恐る恐るリールからフィルムを引き出してみると、見事なまでにビネガーシンドロームに蝕まれていた。

*ビネガーシンドロームとは、フィルムベースが空気中の水分と反応して崩壊すること。詳細はこちらを参照

ビネガーシンドロームに侵された8ミリフィルム
パーフォレーション部の傷みが激しいが、映像を記録した部分は意外ときれいに残っている。

ビネガーシンドロームは、いちど始まってしまうと復元不可能。予防するしか対策はない。 自分が撮影したネガやスライドは風通しの良い場所に置き、定期的にチェックしているので、今とところ被害はないが、実家の8ミリフィルムまでは気が回らなかった。
とりあえず引き取って来たものの、フィルムは干しワカメみたいになっていて、すでに上映不可能。だが、よく観察してみると 波打ったフィルムの上に鮮明な像が残っている。そこで閃いたのが映像のデジタル化。動画は厳しいが、静止画なら何とか残せそうだ。
デジタル化の方法はいろいろあるが、私が選んだのはデジカメで複写すること。スキャナーを使う方法もあるが、フィルムが波打っているうえ、スキャン用のホルダーに収めるためにはフィルムを短くカットする必要がある。この点、デジカメを使えば、効率良く作業ができると思ったからだ。
これまで35ミリスライドは何回もデジタル化した経験があったので「8ミリだって簡単」と高をくくっていた。だが、実際に作業を始めてみたら面倒なことだらけ。まず35ミリ一眼レフを使って8ミリフィルムを複写するための「8ミリデュプリケーター」で試してみたが、私が持っているデジイチはAPSCサイズなので、倍率が高すぎて画面がはみ出してしまう。仕方がないので、ベローズとスライドコピアを引っ張り出し、50ミリのマクロレンズでセットを組んでみたが、今度は倍率が低すぎ。レンズをリバースしたり使うレンズを変えてみたりといろいろ試したが、なかなか良い組み合わせが見つからない。そうこうしているうちにセンサーサイズの小さなカメラを使えば良いことに気が付いた。そこでマウントアダプターを使ってペンタックスQをセット。ようやく、ベストの組み合わせを見つけることができた。



試行錯誤の末に完成した8ミリムービー複写システム
向かって左から、スライドコピアA、SMCペンタックスマクロ50ミリF4、オートベローズA、ペンタックスK→ペンタックスQ用マウントアダプター、ペンタックスQ。
等倍以上の接写にはレンズを逆向きに取り付けるリバースが普通だが、ベローズの構造上リバースするとフィルムとレンズ先端の距離が離れ過ぎ適度な倍率が得られない。仕方がないので正方向にレンズを取り付けて撮影した。

次の問題は、どうやって複写するコマを選び出すか。映写機にフィルムを掛けると劣化したフィルムが切れてしまうし、1コマずつルーペで確認するには画面サイズが小さすぎる。それにいちばん小さな3号リールでもフィルムの長さが15メートルもあり非現実的だ。そこで思い付いたのが、8ミリフィルム用エディター(編集機)の利用。さすがにエディターは持っていないので、近所のリサイクルショップへ。運良くジャンクコーナーで格安の出物を見付けるできた。
現在、映写機を含めた中古映画用品の売値は捨て値同然。それでも買い手が付かないらしく、店頭の在庫は一向に減る気配はない。恐らくこの状態が続けば廃棄されてしまうだろう。このような機材を手に入れるなら、今が最後のチャンスかも知れない。



複写するコマを選ぶために使用したエディター
 中央のスクリーンに画像が映し出される。フィルム送りは手動式なので目的のコマをじっくり選ぶことができる。シングル/レギュラー兼用機が多いが、専用機もあるので、購入時は注意すること。またランプ切れの場合は、ネットで「エディター、電球」などのキーワードで検索すると、新品が見つかる。


撮影の手順



その1:ネガキャリアに8ミリフィルムをセット
撮影に使用したスライドコピアは、35ミリフィルム用なので、8ミリフィルムのサイズに合わせて黒紙でガイドを自作した。光源にはポジチェック用のライトボックスを使用。卓上三脚にベローズをセットすると作業がしやすい。

その2:フレーミングとピント合わせ
最初にフィルムと撮影用レンズの距離をラフに調節し、次にカメラを前後に移動させピントを合わせる。ピントを合わせるとフレーミングがずれるので、距離の設定とピント合わせの操作を何度か繰り返してベストの位置を捜す。このときカメラ側のフォーカスアシストをオンにするとピントが合わせやすい。ピント合わせ時は絞り開放。撮影時にF8程度に絞り込む。絞り込むことで被写界深度が深くなり、フィルムのカーリングよる片ボケが軽減できる。今回初めてベローズにデジカメを組み合わせたがライブビューとベローズの相性は抜群だ。

その3:露出の決定
撮影モードはM(マニュアル)モードがお勧め。撮影するコマの明るさに応じて適正露出が変わるので、段階露出撮影してベストのコマを選ぶ。また補正を前提にするならRAWデータも記録しておくと良い。

その4:ホワイトバランス
 今回はオートで撮影したが、退色の激しいカラーフィルムなどの場合は、マニュアルモードとRAWファイルで撮影し、現像時に調整すれば良いだろう。また装填時に感光してしまいスヌケになったリーダー部があれば、 この部分で手動セットする方法もある。


8ミリフィルムから救出した写真

デジタルアーカイブ 昭和37年〜38年(1962年〜1963年)頃に撮影

正月
両国の父の実家へ向かう途中、旧国鉄(現JR)総武線、西千葉駅ホームにて。 現在、駅は高架になっているが、当時はまだ地上にあった。フードを被っているのが私。右が次兄で、その隣に立っているのは母(右)と叔母。
凧上げからの帰路
向かって左側の畑は今は駐車場。後ろの建材店も同じ場所にある。前出の正月に撮ったフィルムに収まっていた。
夏休み
写っている駅はJR安房小湊。海水浴場は上総興津だ。祖母の出身地だったので、我が家の海水浴は、ここが定番だった。


 

モノクロ編
 
自宅の縁側にて
三兄弟そろい踏み。
縁側で遊ぶ私
手前に写っているロボットは、SF映画の「禁断の惑星」に登場した「ロビー」だろうか? 無傷で残っていたら、数十万円もするお宝なんだけど。
フジペットEE
首からをフジペットEE提げて得意顔の長兄。このカメラは後に私のファーストカメラとなり、今はコレクションに収まっている。

連続写真
長兄に泣かされたと思われる次兄。ガールフレンドが慰めているのだろうか?
まったく反省の色がない長兄。
母に叱られ反省?する長兄。服装が合わないが、写っている順番から、間違いないはず。
夕食の準備
縁側で鰹節を削る母。あの音は、今でもはっきり思い出せる。

自宅前
自宅前の風景が偶然写っていた。まさか50年前の風景が見られるとは!! 高い建物が増えたが電柱の多さは当時とあまり変わらない。
現在の同じ場所

プリントアウトした画像


原板サイズが小さいので、用紙サイズはL判くらいがちょうどいい。また画像処理ソフトを使えば、色味を補正したり、ゴミやカビをレタッチすることが可能。アーカイブ用としてデータを保存、プリントアウトして鑑賞する方法がお勧めだ。



中村 文夫(なかむら ふみお)

1959年生まれ。学習院大学法学部卒業。カメラメーカー勤務を経て1996年にフォトグラファーとして独立。カメラ専門誌のハウツーやメカニズム記事の執筆を中心に、写真教室など、幅広い分野で活躍中。クラシックカメラに関する造詣も深く、所有するカメラは300台を超える。日本カメラ博物館、日本の歴史的カメラ審査委員。
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  2014/07/04
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