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銀塩手帖

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銀塩手帖
フィルム、銀塩写真に関する情報を記録していきます。
公開日:2016/11/25

日本カメラ博物館特別展「世界のカメラ100選」

photo&text 中村文夫

特別展会場


11月22日から日本カメラ博物館でスタートした特別展「世界のカメラ100選」は、同館所蔵の約2万点のコレクションの中から、世界初の機構を備えた技術的に意義の高いカメラやユニークなデザインをもつカメラ100台をピックアップ、歴史を追って展示するものだ。
 展示内容は現代のカメラのルーツであるカメラオブスクラに始まり最新のデジタルカメラまで、世界各国で生産された新旧の製品を網羅。なかでも見どころは「こんなカメラが存在したのか!!」と思わず唸ってしまうようなユニークな機構を備えたカメラたちだ。あまりの奇抜さゆえ、その多くが短命に終わっているが、なかには100年以上の時を経て現代の最新技術によって日の目を見た製品も--- 今年で177年を迎えたカメラの歴史を知るうえで、貴重なカメラの実物が見られる絶好の機会とと言えるだろう。




ダゲレオタイプ現像機
ダゲレオタイプは露光済の銀板に水銀の蒸気を当てて現像する仕組みだが、その際に使われたもの。箱の上部に銀板をセット、下にあるアルコールランプで水銀を熱して蒸気を作り出す。




マイクロフォトグラフィックカメラ
1860年・フランス
45×85ミリの湿板に25コマの小さな画像を一度に露光するカメラ。ミニアチュールと呼ばれる土産物などに利用された。小さい写真をペンなどに埋め込み、それを覗いて楽しむもので、日本でも観光地などで販売されていたようだ。




グレイ ベストカメラ 
1886年・アメリカ
両サイドのリングに吊り紐を付け首からぶら下げて使用する隠し撮りカメラ。ベストのボタン穴から撮影用レンズを出して撮影することから、この名が付いた。




シグリスト9×12
1898年・フランス
下部のマガジンに12枚の乾板を装填。引き出しのような取っ手を前後させると、露光済と未露光の乾板が入れ替わり連写ができる。




テレフォト ラピド
1901年・スイス
カメラ内に2枚のミラーを内蔵。光軸をZ型に折り曲げることで、ボディのコンパクト化を図った超望遠撮影用特殊カメラ。レンズの焦点距離は750ミリ。




クロモグラフ トリクローム
1906年・フランス
ボディに内蔵した特殊ミラーで画像を光の3原色に分解して3カットのモノクロネガを撮影。これを元にカラープリントを得る。写真のカラー化に対する要望は、既にこの時代から始まっていた。




ドッペル スポルト
1908年・ドイツ
鳩の胸に取り付けて空中撮影する首振りタイプのパノラマカメラ。エアダンパーによるセルフタイマーで鳩が上空に上がった頃にシャッターを切る。カメラの向きや高度などは鳩次第なので上手く撮れたかは疑問。この願望は現代のドローンカメラで実現した。




プラウベル マキナ(右)
1920年・ドイツ
F2.9の大口径レンズを装着した65×90ミリの画面を撮影する折り畳み式カメラ。左は1976年にプラウベル社を買収した日本のドイが試作したマキネッテ6×7。後にプラウベルマキナ6×7として製品化された。




セプト 
1923年・フランス
セプトとはフランス語の「7」の意味で、映画カメラ、スチルカメラ、映画用映写機、スライド映写機、引伸機、ポジフィルム製作用プリンターの7つの機能を備えている。




ヒル全天カメラ
1924年・イギリス
初期の魚眼レンズ付カメラ。気象の雲量観測の際カメラを真上に向けて撮影した。8×10.5センチの乾板に直径65ミリの円形画像が写る。




ローランド 
1931年・ドイツ
視覚式露出計を内蔵した120フィルムを使用するセミ判カメラ。電気式露出計が登場する以前の初期の露出計内蔵カメラだ。




スーパーコダック620
1938年・アメリカ
世界で初めて自動露出(AE)を実現したカメラ。任意に設定したシャッタースピードに対し、適正露出となる絞り値をセレン光式露出計が設定する。




デュフレックス 
1943年・ハンガリー
世界で初めてクイックリターンミラー機構を備えた35ミリ一眼レフ。この機構を発明したのは長らく旭光学(現リコー)とされてきたが、1970年頃にこのカメラが発見され、この事実が判明した。




プラクチナ
1953年・ドイツ
交換レンズや交換式ファインダーを備えたシステムカメラの嚆矢。後ろにあるのは、長尺マガジンとモータードライブを取り付けたボディでゼンマイの力でフィルムを巻き上げる。




ズンマ レポルト
1954年・イタリア
報道用に開発された6×9判の中判カメラで、レンズ交換の手間を省くためターレット式のレンズ交換システムを採用した。レンズが4本付いているが、ファインダー用と撮影用が組になっているので、実際には標準と望遠の切り替えしかできない。ズンマとは「最高」の意味。



オリンパスガストロカメラ
1961年・日本
最初のモデル(写真左)は、先端にカメラを内蔵した構造のため、検査の際、被験者の負担が非常に大きかった。やがてファイバースコープが開発されると被験者の負担が軽減された。(写真右)は1983年発売の記録装置に110カメラを使用する製品。このカメラ本体だけは、たまに中古店で見かけることがある。




ミノルタ ハイマチック
1962年・日本
ミノルタ(現コニカミノルタ)発売した自動露出機構搭載の35ミリカメラ。アメリカがマーキュリー計画で打ち上げた有人宇宙飛行船フレンドシップ7号に搭載された。スペースカメラではニコンが有名だが、実はこのカメラの方が早かった。




フォクトレンダー ビトローナ
1964年・ドイツ
ストロボを内蔵したカメラでは日本のピッカリコニカ(1975年発売)が有名だが、それより10年以上前にドイツで実用化されていた。ただし当時のストロボは大容量の電源必要だったので、グリップタイプの大型電源が用意された。




キヤノンペリックス
1965年・日本
従来の一眼レフのミラーを半透過式(ペリクルミラー)に変更。撮影時のミラーの上下運動を不要にし、ファインダのブラックアウトとショックを無くすことに成功した35ミリ一眼レフ。この技術は後に、キヤノンやニコンの超高速モータードライブカメラに応用された。




ソニー マビカ
1981年・日本
個体撮像素子が捉えた画像を電子データに変換、フロッピーディスクに記録する電子スチルカメラ。このカメラが登場した当時「いずれフィルムカメラがこれに代わる!!」と、カメラ業界が大騒ぎになった。




コダック プロフェッショナル デジタルスチルカメラシステム DCS100
1991年・アメリカ
コダックがニコンF3のボディをベースに開発した世界で初めて市販されたデジタル一眼レフ。画素数は130万で、カメラの下にある電送装置を兼ねたストレージユニット内のハードディスクにデータを記録する。価格は2万-2万5,000ドル。




シャープJ-SH04
2000年・日本
「カメラ付ケータイ」の第1号機。有効画素数は11万で内蔵メモリーに記録。メール添付で写真を送ることができた。早いものであれから16年。今や「カメラ付ケータイ」の画素数は1000万越えが当たり前。スマホなども登場し、誰でも簡単に高度な画像加工などが楽しめる時代になった。

<展示情報>

日本カメラ博物館 特別展
日本カメラ博物館コレクション
世界のカメラ100選


開催期間:2016年11月22日(火)〜2017年3月26日(日)
開館時間     10:00〜17:00
休館日     毎週月曜日
年末年始休館 2016年12月26日(月)〜2017年1月4日(水)

http://www.jcii-cameramuseum.jp/museum/special-exhibition/20161122.html

入館料     一般 300 円、中学生以下 無料
団体割引(10名以上)一般 200 円
所在地     102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCII 一番町ビル(地下 1 階)


ウェブサイト
http://www.jcii-cameramuseum.jp/





中村 文夫(なかむら ふみお)

1959年生まれ。学習院大学法学部卒業。カメラメーカー勤務を経て1996年にフォトグラファーとして独立。カメラ専門誌のハウツーやメカニズム記事の執筆を中心に、写真教室など、幅広い分野で活躍中。クラシックカメラに関する造詣も深く、所有するカメラは300台を超える。日本カメラ博物館、日本の歴史的カメラ審査委員。
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  2014/07/04
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