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銀塩手帖

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銀塩手帖
フィルム、銀塩写真に関する情報を記録していきます。
公開日:2017/11/08

日本カメラ博物館 特別展「世界を制した日本のカメラ 〜もうひとつの日本カメラ史〜」

photo & text 中村文夫


日本のカメラ工業は、1903年に小西六寫眞工業(現コニカミノルタ)が発売したチェリー手提暗箱でスタートしたが、工業製品として本格的な生産が始まったのは日本が好景気を迎えた1930年代。
今回の企画展は、この時期から現在に至るまでの日本のカメラ工業の発展をたどるものだ。特に第二次世界大戦中の物資欠乏時代や戦後の復興期。さらに日本製カメラが世界市場を席巻するまでの間に登場した製品が一堂に会するのは、恐らく今回が初めて。日本製カメラの歴史を知るうえで、カメラファン必見の企画展だ。

 

<特別展会場>



特別展会場内は撮影可能。SNSへの投稿もOKだ。
カメラの刻印など細部を撮影するなら、望遠マクロレンズを持参すると良いだろう。

 

<展示紹介>


セミラッキー
引伸機で有名な藤本写真工業が1936年に発売したセミ判スプリングカメラ。当時のカメラ工業は分業制で、レンズはドイツから輸入したシュナイダー製ラジオナー。シャッターは、ミノルタから独立したドイツ人技術者が興したノイマン&ハイレマン製。これを藤本写真工業がボディと組み合わせて販売した。




國産寫眞機ノ現状調査
軍需省機械試験所が昭和19年(1944年)に発表した。
カメラは軍用光学兵器という側面も持つ。第二次世界大戦により海外からの輸入が途絶え国内調達に頼らざる得なくなった軍部は国内光学メーカーの生産品目や生産能力を徹底調査しリストを作った。旭光学工業(現リコーイメージング)や小西六寫眞工業(現コニカミノルタ)、日本光学(現ニコン)などの大メーカーだけでなく、現在、精密自由雲台で有名な梅本製作所など小規模メーカーもリストアップされている。

戦争により軍の統制下に置かれていた光学会社の多くが、戦後はカメラメーカーとして再スタート。製造した製品のほとんどが日本復興の資金源として輸出される。当時の輸出はGHQが管轄。占領下の日本で生産されたことを示す「Made in Occupied Japan」という表示を義務づけた。



オリンパス 35 昭和23年(1948年)発売
底部に「Made in Occupied Japan」の刻印を入れて輸出された。



レオタックス スペシャルDlll 昭和22年(1947年)発売
底部に刻印された「Made in Occupied Japan」に加え、巻き上げノブにも「シー・ピー・オー」の刻印がある。CPO(Central Purchasing Office)中央購買局の意味だが、なぜかカタカナ表記になっている。



ペトリ コンパクトE 昭和35年(1960年)発売
沖縄に工場を開設した栗林写真工業が、アメリカ軍のPX(酒保)で販売した製品。日本返還前なので、「Product of Ryukyu Islands」の刻印がある。



アンスコ バイキング 昭和27年(1952年)発売
ドイツのアグファがアメリカのアンスコ社向けに製造。連合国の管理下に入ったドイツでは、日本と同様、製造国表記が義務付けられた。そのため「München U.S. ZONE GERMANY」の表記がある。



スプリングカメラ A-Zの時代
戦後の復興期に起こった二眼レフブームでは小規模のカメラメーカーが乱立。アルファベットのAからZまで、すべての文字(J、U、Xは未確認)で始まる製品が登場したと言われている。二眼レフでは有名な話だが、この状況は蛇腹式のスプリングカメラでも同じだった。



極小型カメラ
戦後の復興期、米兵のクリスマスプレゼントとして重宝された極小型カメラ。ともすれば玩具扱いされるような製品でも、日本のカメラメーカーは手抜きしなかった。その結果「小さくても良く写る」と世界的な評価を獲得。日本でも豆カメラとして高い人気を誇り1970年代まで製造が続けられた。



フジペット 昭和32年(1957年)発売
富士フイルムが発売した120フィルムを使う入門機。カメラを持っているのは、女優の松島トモ子さん。低年齢層に写真を普及させる目的で開発されたことから「芽生えカメラ」という異名が付いた。



タワー41 昭和36年(1961年)発売
マミヤオートマチック35EEFの輸出モデル。タワーはアメリカ大手の通販会社シアーズ・ローバック社のブランドで、この時期、多くの日本のカメラメーカーが、バイヤーズブランドのカメラを製造した。



グラフィックジェット35 昭和36年(1961年)発売
ソーダサイフォン用の炭酸ガスボンベを動力としてフィルムを巻き上げるユニークなカメラ。興和がアメリカのグラフィック社の依頼で製造した。



エキザクタツインTL 昭和45年(1970年)発売
コシナが西ドイツのイハゲー社の依頼で製造した一眼レフ。1970年代を迎え日本製カメラの品質が向上。海外の大手メーカーが日本のメーカーに製品を発注するようになる。



クレージュ AC101 昭和58年(1983年)発売
フランスのデザイナー、Aクレージュがカメラの外装とケースのデザインを担当。女性ユーザーをターゲットに、ミノルタ(現コニカミノルタ)が発売したディスクフィルムを使うコンパクトカメラ。



AF チノンズーム 35-70ミリ F3.5-4.5 昭和57年(1982年)発売
赤外線アクティブ式AFを採用したオートフォーカスレンズ。
ミノルタα7000よるボディ内位相差方式が登場する以前に登場したAF黎明期の製品だ。



検査用基準カメラ
日本カメラ博物館の前身である日本写真機検査協会(JCII)が、輸出検査に使用していた「検査用基準カメラ」。作業効率を上げるため巻き戻しノブをクランク式に改造したライカ型カメラ、8ミリムービー用Dマウントレンズを検査するために特別に作ったカメラなどを見ることができる。



検査合格証
カメラの品質が輸出基準を満たしていること示す「検査合格証」。
現在でも、このシールが貼られた製品を中古カメラ店で見掛けることがある。

 

<展示会案内>

日本カメラ博物館 特別展
「世界を制した日本のカメラ 〜もうひとつの日本カメラ史〜」


戦中のカメラ作りを起点に、これまでに登場した多数のカメラを多角的な視点で分類整理することで、日本のカメラの歴史に新たな一面を発見することができる展示。戦後72年、日本製カメラを新たな視点からとらえることでみえてくる、“もうひとつの日本カメラ史”。

開催期間:2017年10月24日(火)〜2018年2月18日(日)
開館時間:10:00〜17:00
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日)
※12/25は開館
入館料:一般 300円、中学生以下 無料、団体割引(10名以上)一般 200円

開館場所:日本カメラ博物館
102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCII 一番町ビル(地下1階)
03−3263−7110
アクセス:東京メトロ 半蔵門線半蔵門駅徒歩1分 有楽町線麹町駅徒歩8分
http://www.jcii-cameramuseum.jp/map/map.html


<講演会>

今回の特別展に合わせた講演会を開催。講演会は「もうひとつの日本カメラ史 戦中・終戦直後編」と「露出とピントの自動化がもたらしたもの デジタルまで」の2回に分かれ、日本カメラ博物館運営委員、元月刊『写真工業』編集長の市川泰憲さんが、今日のカメラ製造王国へと導いた一眼レフカメラの発展過程と技術的背景知られざるエピソードを交えて講演する。

日本カメラ博物館 講演会 「もうひとつの日本カメラ史 I  戦中・終戦直後編」
開催日: 2017年11月18日(土曜日)
開催時間:13:00〜15:00
(12:30開場予定)
応募方法:日本カメラ博物館にて直接受付、または電話にて受付
申込み・問合せ先:03−3263−7110
定員:100名
(座席指定なし・先着順)
受講料:300円(日本カメラ博物館友の会会員・フォトサロン友の会会員は無料)
※受講券提示でお一人様一回のみ博物館入館が無料


第2回「露出とピントの自動化がもたらしたもの デジタルまで」は2018年1月21日(日曜日)に開催予定。

http://www.jcii-cameramuseum.jp/academy/lectures/2017/20171118.html
 


<関連サイト>

日本カメラ博物館 特別展
「世界を制した日本のカメラ 〜もうひとつの日本カメラ史〜」
http://www.jcii-cameramuseum.jp/museum/special-exhibition/20171024.html


日本カメラ博物館
http://www.jcii-cameramuseum.jp/

 



中村 文夫(なかむら ふみお)

1959年生まれ。学習院大学法学部卒業。カメラメーカー勤務を経て1996年にフォトグラファーとして独立。カメラ専門誌のハウツーやメカニズム記事の執筆を中心に、写真教室など、幅広い分野で活躍中。クラシックカメラに関する造詣も深く、所有するカメラは300台を超える。日本カメラ博物館、日本の歴史的カメラ審査委員。
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  2014/07/04
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