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銀塩手帖

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銀塩手帖
フィルム、銀塩写真に関する情報を記録していきます。
公開日:2016/03/25

さらば、ニコン大井製作所101号館

photo & text 大浦タケシ
101号館の全景。戦前に建てられた古い建築物であるが、手入れは極めて行き届いている。

近日解体予定。ニコンFなどの名機を生んだ、 大井製作所101号館

来年(2017年)、創立100周年を迎える株式会社ニコン。その中枢がニコン大井製作所である。東京都品川区に位置し、戦前から高度成長期の頃までここで同社の光学機器の開発・設計・製造のほとんどを担ってきた。101号館とは、その大井製作所の中心となっていた建物。この度、取り壊しが行われるが、それに先がけマスコミや写真家、同社と関わりのある人々を集め見学会が開催された。CAMERA Fan編集部も取材する機会が得られたので、101号館の様子をお伝えしたい。ちなみに今回の見学会を企画し、案内を行って頂いたのはニコン映像事業部 後藤研究室の後藤哲朗氏と、同社100周年プロジェクト室の元・精機設計部の岩田浩満氏である。



特徴的な煙突。この建物が見られるのもあとわずか。
大型の製造機器やステッパーに使用した大型構造部材 などを運んだクレーン。


現在の101号館入り口。レンジファインダーからF3までがこの101号館で製造された。


 1933年当時の101号館

101号館が竣工したのは今から83年前の1933年(昭和8年)4月。竣工当時は地上4F建て、地下1階の鉄筋コンクリート製の建物で、上から見るとアルファベットのEの形をしている。後に増築され5階建てとなった。当時の写真を見ると、周りに高い建物などなく、その大きさから近隣のランドマーク的存在であったことと思われる。完成時の内部は、1階が工作用の旋盤などの置かれた機械場、2階が仕上場と組立場、3階がレンズ研磨室とバルサム室、4階が調整室や設計室、図書室など、5階が調整用展望台、地階がロッカールームや作業室、長尺物の調整室などだった。時代時代に応じて改築や増築、レイアウトの変更などを絶えず行ってきたため、場所によっては入り組んだところも見受けられる。ちなみに101号という名称であるが、百の位の1は同社が区分した1番目の敷地に立つことを現し、下二桁の01はつくられた順番である(例外もある)。同様の番号は小さな建物にも全て付けられており、しっかりと管理されていることが伺い知れる。


1960年代の101号館内風景 ニコンFシリーズの製造ライン

気になるのは101号館で何をつくっていたかだろう。後藤さん曰く、カメラ本体については、1948年のレンジファインダーの「ニコンI型(1号機)」に始まり、フィルム一眼レフ「F3」を1988年まで製造していたとのこと。もちろん日本のレンジファインダー機の最高峰である「SP」も、あの名機「F」もここで生産された。Fの組み立てラインの写真を見せて頂いたが、細長いベルトコンベアを中心として両脇に作業員が座り、往年のカメラ工場そのもの。

筆者も高校時代に新品の「F2」を購入し、社会人になって同じく「F3」を手に入れているが、それらがここでつくられていたかと思うと実に感慨深い。さらに「F6」や「D2」などの試作もこの101号館で行われたという。我々がこの建物に案内されたときは、すでに開発や製造に関わる機器をはじめ、机や本棚などの什器はほとんど残ってなかったが、それでも製造されていた当時の様子を想像してみるには十分すぎるものである。



ここがカメラを製造するラインがあった部屋。写真の手前の位置から奥に向かって中央に真っすぐ延びていた。



古い101号館の写真の前で解説をする後藤氏。「同光会写真部」とはニコン社内の写真クラブの名称。

いくつか興味深いものとしては、屋上に設置された耐候試験室(太陽の光を直接当てカメラの状態をチェックする)や、地下に備えられた降雨試験室(天井から
人工的に雨を降らしカメラの状態をチェックする)なども見ることができた。建物自体が古いものであるため、それらも時代を感じさせる質素なつくりであるが、そうやって世界に誇れるカメラを綿綿とつくり続けてきたエンジニアの苦労を垣間見たような気がした。



四角窓のある部屋が太陽の光を直接カメラに当て状態をチェックする耐候試験室。


降雨試験室の内部。人工的に雨を降らせてカメラや交換レンズなどの耐久試験を行った。


机の上に放置されていたプラコン。よく見ると試作課の文字が。当然のことながら中には何も入ってなかった。

101号館・館内風景



  


  



  


  


また、同社のもうひとつの根幹であるステッパーの製造を1970年代後半に行った部屋も見ることができた。ステッパーというと比較的大きい部類に入る超精密機器が、このような小さな部屋で生まれてきたのだ。しかも地階である。さぞかしエンジニアの方々は初号機を完成させたときは苦労が報われ嬉しかったことだろう。


画面中央にある角度の異なる建物は118号館。それぞれの壁は東西南北を向いており、屋根が開く。1990年代中ごろまで天体望遠鏡の検査に使われた建物だ。


101号館屋上から南側を臨む。手前は大井製作所第2工場。主に大きな機械が必要な試作部門や広いスタジオを必要とする評価部門が居住している。

現在、カメラ関連の開発・設計の多くは東京都港区の品川インターシティに移転し、製造のほとんどは国内外にある同社直系あるいは関連の工場に移管されている。
大井製作所は大掛かりな装置を伴う映像評価や試作部門の他、システムや総務系などの共用部門が稼働している。それらはこの101号館ではなく敷地内にある別の最新の建物のなかで行われている。

しかしながら、この101号館から生み出されたテクノロジーは数知れず、現在のニコンを支えるものである。今回案内していただいた後藤氏自身も「101号館はニコンのルーツ」と断言する。フィルム、デジタルに関わらず、もしあなたがニコンのカメラを持っていたらもう一度じっくりと見つめ直してほしい。そこには綿綿と受け継がれた技術が凝縮されるとともに、101号館で培われた物づくりへの情熱やこだわりを感じることができるはずだ。




今回の101号館見学会を企画し、案内をしていただいた株式会社ニコン映像事業部後藤研究室の後藤哲朗氏。


現在の大井製作所の中枢、ニコン大井ウエストビル。最新のインテリジェントビルだ。
 著者プロフィール
  大浦タケシ(おおうら・たけし)

宮崎県都城市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。紆余曲折した後、フリーカメラマンとなり、カメラ誌、Webマガジン等でカメラおよび写真に関する記事を執筆する。中古カメラ店巡りは大切な日課となっており、”一期一会”と称して衝動買いした中古カメラは数知れず。この企画を機に、さらに拍車がかかる模様。2006年よりカメラグランプリ選考委員。
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