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銀塩手帖

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銀塩手帖
フィルム、銀塩写真に関する情報を記録していきます。
公開日:2015/05/18

日本カメラ博物館特別展「写真機今昔物語」

photo & text 中村 文夫


日本カメラ博物館といえば、カメラマニアのための博物館という印象が強い。これまで開催された特別展も「カメラそのもの」をテーマにした、いわゆる「硬派」の展示が多かった。だが、最近、この傾向が変わり始めている。たとえば前回開催の「クラシックカメラ少女展」は、萌え系イラストとクラシックカメラのコラボレーションという斬新なもの。これまでクラシックカメラに縁の無かった来館者も多く訪れ、カメラファンの裾野を広げることに成功した。



4月28日からスタートした特別展「写真機今昔物語」は、175年に上る写真の歴史の中で活躍した数々の名機を、その時代を代表する写真作品ととにもに紹介するもの。誰もが見覚えがある有名写真家の作品と同時代のカメラを一緒に並べる展示スタイルにより、カメラマニアはもちろん、そうでない人でも気軽に楽しめる内容になっている。(会期:2015年4月28日〜9月6日まで)

特別展の会場には、ここでしか見られない貴重な機材や資料がズラリ。また展示期間は学校の夏休み期間にまたがっているので、自由研究のテーマにも最適だ。さらに会期に合わせてカメラや写真に関するワークショップも開催する予定。この機会に親子で参加してみてはいかがだろうか。



「デジタルカメラの高度な発達により、現在は暗闇でも鮮明な写真が撮れたり、ドローンのような機材を使えばプロ顔負けの航空写真が簡単に撮れるようになりました。実は『これまで誰も見たことがない世界が見たい』という人間の願望は、写真発明当時から存在していました。この特別展を通して、先人たちが残した『映像に対する、飽くなき探求の歴史』を知って頂ければ幸いです。」とオープニングの挨拶をする日本カメラ博物館運営委員の市川泰憲氏。


<主な展示物>

1839年(天保10年)フランス人のダゲールが発明した「ジルー・ダゲレオタイプカメラ(レプリカ)。左にある冊子は、使用法を解説した「ダゲレオ教本」
*日本カメラ博物館の常設展示コーナーにはオリジナルを展示。


イギリスやアメリカ製のダゲレオタイプカメラと、感光材料を製作したり現像するための用具一式。




ダゲレオタイプで撮影した写真
ダゲレオタイプは、銀メッキを施した銅板にヨウ素の蒸気を当て感光性を持たせて撮影。その銅板が「写真」になる。水銀の蒸気を当てて現像した写真は、一定の角度からしか像が見えない。

角度を変えて撮影したもの
  


1841年オーストリアのフォクトレンダーが製造したダゲレオタイプカメラ(レプリカ)。世界初の総金属製カメラと言われ、高性能レンズのイメージサークルをフルに利用するため円形画面を採用している。



イギリスのタルボットがダゲレオタイプと同時期に発表したカロタイプカメラで、塩化銀を染み込ませた紙を感光材料として使用する。像は白黒が反転したネガ像で、別の感光紙を密着焼きしてポジ像を得る。ダゲレオタイプのように像が左右反転せず、複製も容易だった。



タルボットがカロタイプによって制作した世界初の写真集「自然の鉛筆」(写真は1969年版)



ディブロニ・ド・サロン(1870年)
カロタイプの次に登場したのが湿板で、ガラス板にコロジオン(硝酸セルロースをエタノールとエーテルの混合溶液に溶かした液体)を塗布、乾かないうちに撮影することから、この名が付いた。ダゲレオタイプやカロタイプより感光性が高く、短時間で露光が済むことから広く普及した。このカメラはスポイトでカメラ内部に薬液を注入、その場で現像してすぐに写真が見られる。インスタントカメラの原形は、すでにこの時代に誕生していた。


ベストポケットコダック(1912年)
19世紀末にロールフィルムが発明されるとカメラファンの裾野が一気に広がる。1912年に発売されたこのカメラは、127ロールフィルムを使用するアマチュア向けカメラ。レンズが色消し単玉であることから、日本ではベス単の愛称で親しまれた。またフードを外してソフトフォーカスで撮影する手法が流行。これが「ベス単フード外し」で、多くのカメラマンが名作を残している。


フォクトレンダーベルクハイル(1914年)
20世紀の始め、パリの街角を撮り続けたフランス人カメラマン、ブラッサイの作品集と同時代に活躍したハンドカメラ。



エルマノックス(1924年)
1871年ゼラチンを使用した乾板が発明されると写真の利便性が格段に向上する。ただ当時の乾板は現在に比べると感度が低く暗い場所での撮影が苦手だった。ドイツのエルネマン社が製造したエルマノックスは、そんな弱点を克服すべくF2という明るいレンズを搭載、それまで不可能とされてきた室内での自然光撮影を実現した。報道カメラマンのエーリッヒ・ザロモンは、このカメラを携え会議場に潜入、政治家たちの自然な表情を捉えることに成功する。そのためザロモンはキャンデッド・フォトの開祖と言われている。



ローライフレックスオリジナル(1929年)
植田正治がアマチュア時代に砂丘で撮影した作品を掲載したカメラ雑誌「アルス」と撮影に使用されたローライフレックスの同型機。



ライカI(C)(1930年)
ライカC型を嬉しそうに掲げた若き日の桑原甲子雄の自写像



ライカ II(1932年)
35ミリロールフィルムを使用するライカの登場により、カメラの機動性がアップ。一瞬を切り取る写真表現が可能になる。アンリ・カルチェ・ブレッソンが1952年に出版した写真集「決定的瞬間」は、ライカの特性を最大限に活かしたもの。スナップ写真のバイブルとも言える作品集だ。


コンタックスII(1936年)
報道カメラマンとして、世界各地の戦場を駆け抜けたロバート・キャパの写真集「IMAGE OF WAR」と、彼がノルマンディ上陸作戦取材で使用したことで有名なコンタックスIIの同型機。



ライカIIIc(1940年)
日本におけるドキュメンタリー写真の金字塔「筑豊のこどもたち」。土門拳もライカユーザーだった。



ペースメーカースピードグラフィック(1947年)
1950年代半ばまで、新聞を始めとする報道写真の分野ではスピードグラフィック(通称スピグラ)などシートフィルムを使用する大型カメラが主流だった。1953年にアメリカで出版された写真集「NAKED HOLLYWOOD」では、報道カメラマンによるスピグラの砲列を見ることができる。



ベッサマチック(1959年)
現在主流のズームレンズが写真撮影用レンズとして初めて採用されたのは1959年。ズーマー社がフォクトレンダーベッサマチック用に製造したズーマー36-82ミリF2.8が最初の製品だ。



ニコンF(1959年)、ニコマートFTN(1967年)
日本光学が1959年に発売した35ミリ一眼レフのニコンFは、高い機動性や豊富な交換レンズ群などが評価され、報道写真分野でメイン機材の地位を獲得する。またベトナム戦争では、高い堅牢性と信頼性から多くのカメラマンが愛用、貴重な記録を残している。なかでも若くして戦場で命を落とした沢田教一や一ノ瀬泰造は有名だ。



コニカC35EF(ピッカリコニカ)(1976年)
世界初のストロボ内蔵35ミリコンパクトカメラ。誰でも簡単にきれいな写真が撮れることから、それまでカメラが苦手とされてきた女性や高齢者に歓迎された。 
自分が生まれ育った村がダム工事で水没することを知った増山たづ子は、自分の手で村の記録を残そうと、初めて手にしたカメラ、コニカC35EFで10万カットを越える写真を撮影。これらの作品は写真集として出版され、数々の賞を受賞した。まさにカメラの進歩がもたらした快挙と言えるだろう。



キヤノン RC-701(1986年)(写真右)/カシオ QV-10(1994年)(写真左)
1981年、ソニーが写真画像を電子的データとしてフロッピーディスクに記憶する電子スチルカメラを発表。1986年にキヤノンが初めて製品化する。また1994年にはデジタル方式で記録するQV-10をカシオが発売。デジカメ時代の幕開けを告げた。



スマートフォンを始めとする携帯端末への組み込み。パソコンやインターネットの普及による写真の鑑賞方法の変化など、現在のデジタルカメラが多様化を極めていることは、今さら説明するまでもないだろう。

ダゲレオタイプの登場から今年で175年。この特別展を見れば、最初は特別な技術を身に付けた一部の人たちのものであった「写真」が、どのようにして現在の姿になったかを知ることができる。



型式によるカメラの違いを説明するコーナー



日本に写真が伝来したのは1848年。オランダ船が持ち込んだダゲレオタイプが最初とされている。また1854年には、ダゲレオタイプに関する記載のある「遠西奇器述」(えんせいききじゅつ)が登場。さらに1862年には、坂本龍馬の肖像写真で有名な上野彦馬が湿板写真術を解説した「舎密局必携」(せいみきょくひっけい)を刊行している。


注:写真作品と一緒に展示してあるカメラは、その作品が撮影された同時代のカメラ、あるいは同型機で、実際に作品を撮影したカメラではありません。

<展示情報>






日本カメラ博物館 特別展
「写真機今昔物語〜カメラの発達と写真表現〜」

開催期間:2015年4月28日(火)〜2015年9月6日(日)
開館時間:10:00〜17:00
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日)
住所:〒102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCII 一番町ビル
入館料     一般 300 円、中学生以下 無料
団体割引(10名以上)一般 200 円


<関連サイト>
日本カメラ博物館
http://www.jcii-cameramuseum.jp/

特別展
http://www.jcii-cameramuseum.jp/museum/special-exhibition/20150428.html

*2015年5月21日 本文中の西暦年に誤記がありましたので、訂正しお詫び申し上げます。正しくは以下となります。

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・1839年(天保10年)フランス人のダゲールが発明した「ジルー・ダゲレオタイプカメラ(レプリカ)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・フォクトレンダーベルクハイル(1914年)






中村 文夫(なかむら ふみお)

1959年生まれ。学習院大学法学部卒業。カメラメーカー勤務を経て1996年にフォトグラファーとして独立。カメラ専門誌のハウツーやメカニズム記事の執筆を中心に、写真教室など、幅広い分野で活躍中。クラシックカメラに関する造詣も深く、所有するカメラは300台を超える。日本カメラ博物館、日本の歴史的カメラ審査委員。
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  2014/07/04
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